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モダン・ライブラリー『20世紀英語小説ベスト100』:編集委員1位『ユリシーズ』 vs 読者1位『肩をすくめるアトラス』の落差

1998年にモダン・ライブラリーが選んだ20世紀英語小説ベスト100。編集委員のリストと読者投票リストの二本立てで、1位が『ユリシーズ』と『肩をすくめるアトラス』に割れた経緯、組織票騒動、両方の上位を解説します。

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結論:1位が二つある、伝説のブックリスト

1998年、米国の老舗叢書ブランドモダン・ライブラリー(ランダムハウス傘下)が「20世紀に英語で書かれた小説ベスト100(100 Best Novels)」を発表しました。このリストが今も語り草なのは、1位が二つあるからです。

一つは、10名の評論家・作家・歴史家からなる編集委員のリスト。その1位はジェイムズ・ジョイスの難解な実験的長篇『ユリシーズ』でした。もう一つは、同時にオンラインで実施された読者投票のリスト。その1位は、アイン・ランドの自由市場礼賛の大作『肩をすくめるアトラス』。さらに上位10冊のうち7冊を、アイン・ランドとサイエントロジー創始者L・ロン・ハバードの作品が占めるという、いわゆる組織票騒動が起きました。

つまりこのリストは、「専門家が考える名作」と「熱心なファンが推す名作」が、これ以上ないほどくっきり食い違った瞬間を記録した資料です。正しい読み方は、どちらか一方を信じることではなく、二つのリストの落差そのものを味わうこと。委員リストを「正典(カノン)の地図」、読者リストを「熱量の地図」として並べて眺めると、文学をめぐる権威と大衆のズレが一望できます。

なお、姉妹編に同年発表の「20世紀ベスト・ノンフィクション100」もありますが、本記事は小説リストに絞ります。英語圏の名作ランキングつながりでは、専門家投票による近年の決定版であるガーディアン『史上最高の小説100選』もあわせてどうぞ。

どんなランキングか/集計方法

  • 主催:Modern Library(モダン・ライブラリー、ランダムハウス傘下の叢書ブランド)。リストの目的の一つは「モダン・ライブラリーを世間の話題にし、本の売上を伸ばすこと」と説明されています。
  • 対象:20世紀(1900年以降)に英語で書かれた小説。母体はランダムハウスとその関連会社が刊行した約400作とされます。
  • 発表年:1998年。
  • 編集委員リスト:1998年前半、編集委員会への聞き取りで選定。委員はダニエル・J・ブーアスティン、A・S・バイアット、クリストファー・サーフ、シェルビー・フット、ヴァルタン・グレゴリアン、エドマンド・モリス、ジョン・リチャードソン、アーサー・シュレジンガー・ジュニア、ウィリアム・スタイロン、ゴア・ヴィダルの10名。グレゴリアン以外は全員、ランダムハウスかその関連会社から本を出していた人物だった点も、後に偏りとして指摘されます。
  • 読者リスト:オンライン投票。1998年7月20日に開始、10月20日に締切、総投票数は217,520票でした。

ここで押さえておきたいのは、これは最新の決定版ではなく1998年版だということです。以後アップデートされておらず、今も「1998年のスナップショット」として参照されています。また「best(最高)」の定義(影響力か、完成度か、人気か)は明示されておらず、主観の集合である点はこの種のランキング共通の限界です。

トップ10:二つのリストを並べて見る

順位編集委員リスト(作者)読者リスト(作者)
1ユリシーズ(ジェイムズ・ジョイス)肩をすくめるアトラス(アイン・ランド)
2グレート・ギャツビー(F・S・フィッツジェラルド)水源/摩天楼(アイン・ランド)
3若い芸術家の肖像(ジェイムズ・ジョイス)バトルフィールド・アース(L・ロン・ハバード)
4ロリータ(ウラジーミル・ナボコフ)指輪物語(J・R・R・トールキン)
5すばらしい新世界(オルダス・ハクスリー)アラバマ物語/ものまね鳥を殺すには(ハーパー・リー)
6響きと怒り(ウィリアム・フォークナー)一九八四年(ジョージ・オーウェル)
7キャッチ=22(ジョーゼフ・ヘラー)アンセム(アイン・ランド)
8真昼の暗黒(アーサー・ケストラー)われら生きるもの(アイン・ランド)
9息子と恋人(D・H・ローレンス)ミッション・アース(L・ロン・ハバード)
10怒りの葡萄(ジョン・スタインベック)フィアー/恐怖(L・ロン・ハバード)

左右を見比べると、性格の違いは一目瞭然です。編集委員リストは、モダニズムの古典(ジョイス2作、フォークナー)と20世紀前半の英米文学が中心で、「文学史の教科書」のような構成です。一方読者リストは、上位10冊のうちアイン・ランドが4冊(1・2・7・8位)、L・ロン・ハバードが3冊(3・9・10位)の計7冊を占め、残りはトールキン、ハーパー・リー、オーウェルという顔ぶれ。思想的な信奉者とジャンル小説のファンの熱量がそのまま順位になっています。

全体の傾向

1. 編集委員リストは「英米モダニズム+20世紀前半」に厚い

委員リストで複数作が入った作家を見ると、ジョゼフ・コンラッドが4作で最多。ウィリアム・フォークナー、E・M・フォースター、ヘンリー・ジェイムズ、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ローレンス、イーヴリン・ウォーがそれぞれ3作です。20世紀の英語圏文学を、モダニズムを軸に整理した格好です。

2. 収録作はやや「古め」

委員リストで最も新しい作品はウィリアム・ケネディ『アイアンウィード』(1983年)。最も古いのはサミュエル・バトラー『万人の道』(執筆は1873〜84年、出版は1902年)です。つまり収録作の多くが20世紀の前〜中盤に集中しており、リスト発表(1998年)の直近15年の作品はほとんど入っていません。

3. 読者リストは「半分がSF・ファンタジー・ホラー」

読者リストでは、全100作の約半分がSF・ファンタジー・ホラーだったと報告されています。トールキン『指輪物語』、ハーバート『デューン』、ハインライン、スティーヴン・キング『ザ・スタンド』、ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』など、委員リストがほぼ無視したジャンル小説が大量に上位入りしました。

4. ブロック投票(組織票)の痕跡

読者投票には、特定作家のファンによる組織的な投票の痕跡が指摘されています。L・ロン・ハバード(サイエントロジー創始者)の作品が3冊上位に入ったほか、ファンタジー作家チャールズ・デ・リントが複数作、ロバート・A・ハインラインも複数作を送り込みました。オンライン投票特有の「動員」が結果を大きく歪めた典型例です。

5. 二つのリストの「共通項」はごくわずか

両リストに共通して上位に入ったのは、オーウェル『一九八四年』やハクスリー『すばらしい新世界』、ジョイス『ユリシーズ』(読者リストでは11位)など限られます。専門家と読者の「重なり」がいかに小さいかが、このリストの最大の教訓と言えます。

編集委員リスト 主要作品一覧(上位30)

全100位の一覧は、後掲の出典(モダン・ライブラリー公式およびWikipedia)で確認できます。ここでは編集委員リストの上位30を、一言メモつきで挙げます。

  • 1 ユリシーズ(ジョイス)/ダブリンのたった一日を意識の流れで描くモダニズムの金字塔
  • 2 グレート・ギャツビー(フィッツジェラルド)/ジャズ・エイジの富と幻想、アメリカン・ドリームの空虚
  • 3 若い芸術家の肖像(ジョイス)/芸術家になる青年スティーヴンの自我形成
  • 4 ロリータ(ナボコフ)/少女への倒錯した愛を語る、危険なほど美しい文体
  • 5 すばらしい新世界(ハクスリー)/管理されきった近未来のディストピア
  • 6 響きと怒り(フォークナー)/南部の旧家の崩壊を4つの語りで
  • 7 キャッチ=22(ヘラー)/戦争の不条理を笑い飛ばすブラック・コメディ
  • 8 真昼の暗黒(ケストラー)/スターリン体制の粛清を描く政治小説
  • 9 息子と恋人(ローレンス)/炭鉱町の母子の濃密な絆と青年の自立
  • 10 怒りの葡萄(スタインベック)/大恐慌期、土地を追われた一家の西への旅
  • 11 火山の下(マルカム・ラウリー)/メキシコで破滅する元領事の一日
  • 12 万人の道(サミュエル・バトラー)/4世代を通じた英国家族の自伝的批評
  • 13 一九八四年(オーウェル)/全体主義監視社会のディストピア
  • 14 私はクラウディウス(ロバート・グレーヴズ)/古代ローマ皇帝の回想という歴史小説
  • 15 灯台へ(ヴァージニア・ウルフ)/別荘の時間と歳月を凝縮するモダニズム
  • 16 アメリカの悲劇(ドライサー)/成り上がりを夢見た青年の転落
  • 17 心は孤独な狩人(カーソン・マッカラーズ)/南部の街の孤独な人々の群像
  • 18 スローターハウス5(ヴォネガット)/ドレスデン爆撃と時間を旅する反戦SF
  • 19 見えない人間(ラルフ・エリスン)/黒人として「見えない」存在にされる男の独白
  • 20 ネイティヴ・サン(アメリカの息子)(リチャード・ライト)/シカゴの黒人青年と人種の暴力
  • 21 雨の王ヘンダソン(ソール・ベロー)/アフリカへ向かう富裕な中年男の探求
  • 22 サマラの約束(ジョン・オハラ)/小さな町の社交界で破滅する男の三日間
  • 23 U.S.A.(三部作)(ドス・パソス)/実験的手法で描く20世紀初頭アメリカ
  • 24 ワインズバーグ・オハイオ(シャーウッド・アンダソン)/小さな町の人々の連作短篇
  • 25 インドへの道(E・M・フォースター)/植民地インドでの誤解と裁判
  • 26 鳩の翼(ヘンリー・ジェイムズ)/遺産をめぐる愛と欺瞞
  • 27 大使たち(ヘンリー・ジェイムズ)/パリで価値観が揺らぐ中年男
  • 28 夜はやさし(フィッツジェラルド)/崩れていく精神科医夫妻の物語
  • 29 スタッズ・ロニガン三部作(ファレル)/シカゴのアイルランド系青年の没落
  • 30 善良な兵士(フォード・マドックス・フォード)/信頼できない語り手の傑作

トップ30だけでも、モダニズム(ジョイス、ウルフ、フォークナー)、ディストピア(ハクスリー、オーウェル、ヴォネガット)、アメリカ社会派(ドライサー、スタインベック、ライト)が並ぶ「20世紀英語文学の見取り図」になっているのが分かります。

読者リスト 主要作品(上位15)

読者リストの上位15は次のとおりです(全100位は出典の sfadb 等を参照)。

  1. 肩をすくめるアトラス(アイン・ランド)
  2. 水源/摩天楼(アイン・ランド)
  3. バトルフィールド・アース(L・ロン・ハバード)
  4. 指輪物語(トールキン)
  5. アラバマ物語(ハーパー・リー)
  6. 一九八四年(オーウェル)
  7. アンセム(アイン・ランド)
  8. われら生きるもの(アイン・ランド)
  9. ミッション・アース(L・ロン・ハバード)
  10. フィアー/恐怖(L・ロン・ハバード)
  11. ユリシーズ(ジョイス)
  12. キャッチ=22(ヘラー)
  13. グレート・ギャツビー(フィッツジェラルド)
  14. デューン/砂の惑星(フランク・ハーバート)
  15. 月は無慈悲な夜の女王(ロバート・A・ハインライン)

委員リストで1位だった『ユリシーズ』が、読者リストでは11位に沈んでいるのが象徴的です。11位以降にようやく「教科書的な名作」が顔を出す構図で、上位10は事実上、特定ファン層の動員の結果と見られています。

議論・批判:何が起きて、何が問われたか

公開当時から、このリストは複数の批判を浴びました。

読者リストの「組織票」問題。 最も話題になったのは、読者投票上位がアイン・ランドとL・ロン・ハバードの作品で埋まったことです。これはオンライン投票における**ブロック投票(動員)**の典型例として、しばしば「インターネット投票は容易に操作される」という教訓とともに語られます。文学的評価というより、コミュニティの結束力の指標になってしまった、というわけです。

編集委員リストへの偏りの指摘。 委員リスト側も無傷ではありません。委員10名のうち9名がランダムハウス(=モダン・ライブラリーの親会社)系から本を出していた人物だったこと、母体が自社刊行の約400作だった点から、「自社本のセールス企画」という性格が指摘されました。また、女性作家や非白人作家、ジャンル小説(SF・ミステリ)がほとんど入らなかったことが「エリート主義的」と批判され、ジャンル小説の排除は「革新的だが大衆的な形式を切り捨てた」とも評されています。

英語圏限定という前提。 そもそも対象が「英語で書かれた小説」に限られるため、非英語圏の20世紀文学(仏・露・独・西語圏、そして日本語など)は最初から対象外です。「20世紀小説」を名乗るには射程が限定的、という構造的な限界があります。

これらを踏まえると、このリストは「20世紀小説の客観的順位」ではなく、「1998年時点の、ある米国出版社の正典像」と「当時のネット投票で動員力を持ったコミュニティの好み」の二枚の写真として読むのが正確です。

日本の読者向け:邦訳・無料で読めるか

朗報として、両リストの上位の多くは日本語で読めます。委員リスト上位は、岩波文庫・新潮文庫・光文社古典新訳文庫・河出書房新社(世界文学全集)などでカバーされており、『ユリシーズ』『グレート・ギャツビー』『ロリータ』『すばらしい新世界』『一九八四年』『怒りの葡萄』などは容易に手に入ります。

読者リスト側も、『肩をすくめるアトラス』『水源』(ともにアイン・ランド)、『指輪物語』『アラバマ物語』『デューン/砂の惑星』など、上位の主要作には邦訳があります。一方、L・ロン・ハバードの『バトルフィールド・アース』『ミッション・アース』などは、入手しやすさにばらつきがあります。

無料で読めるかについては、海外小説は翻訳に著作権が残るものが多く、邦訳を無料で全文公開しているケースは限られます。一方、**原文(英語)**は事情が異なり、20世紀前半に発表されて著作権が切れた作品は、米プロジェクト・グーテンベルクなどで原文を無料で読める場合があります(コンラッド『闇の奥』、ジョイス『ユリシーズ』など)。英語で読める方は、まず原文で雰囲気を確かめるという入口もあります。

まとめ:二つのリストは「文学とは何か」の問い

このランキングの面白さは、順位そのものより**「1位が二つに割れた」事実にあります。専門家は『ユリシーズ』を、読者(の一部)は『肩をすくめるアトラス』を頂点に置いた。これは単なる趣味の違いではなく、「文学の価値を誰が、どう決めるのか」という問い**が表面化した瞬間です。

積読リストとして使うなら、おすすめは次の3通りです。

  1. 正典から — 委員リストのトップ10から、まだ読んでいない1冊。20世紀文学の共通言語を増やせます。
  2. 熱量から — 読者リストの上位(トールキン、ハーバート、ル=グウィンらSF・ファンタジー)から、委員リストが拾わなかった「面白い」を補う。
  3. 落差から — 両リストに共通する『一九八四年』『ユリシーズ』などを軸に、専門家と読者の評価がなぜずれるのかを考えながら読む。

リストは閉じた正解表ではなく、二枚の地図です。権威の地図と熱狂の地図、その間に空白を見つけたら、そこがあなたの次の一冊です。


出典:Modern Library「100 Best Novels」(1998年)。編集委員リスト・全100作の順位はモダン・ライブラリー公式(Penguin Random House)、読者リストの順位・投票数(217,520票、1998年7月20日〜10月20日)・委員の構成はWikipedia「Modern Library’s 100 Best Novels」、読者リストのジャンル偏り(約半数がSF・ファンタジー・ホラー)と組織票の痕跡はsfadb「Modern Library, the reader’s list」を参照しました。本記事は最新版ではなく1998年版に基づきます。

Primary sources

一次情報・参考リンク

About the author
Toshi Time編集部

新NISA・iDeCo・配当・年金・退職金を、制度と税引後キャッシュフローの観点から整理します。社会保険料や取り崩し順序を含むシミュレーションを発信。※金融商品取引業の登録はなく、個別銘柄の推奨や投資助言は行いません。

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